最近、プラスチック製品が心地よくない理由を考えてみました。
アラカン女子メカジキが、女子の定年後の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→★)
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パート先の幼稚園、どろんこ自然派の教育方針で、遊具はプラスチック禁止。
砂場の遊び道具にも、赤や黄色のプラスチックのジョウロやスコップはありません。
そのかわりに、ブリキのバケツ、竹を切っただけのコップやへら、家庭用のステンレス鍋がごろごろしています。
子どもたちは、ステンレスの小鍋をスコップ代わりに穴を掘り、でかいフライパンにいっぱい砂を入れて料理ごっこをしてます。
ぼこぼこになっても、錆が出ても、それはそれで味がある。
気がつくと、自宅もなるべくプラスチックのものはなくそうと思うようになりました。
台所のカラフルなプラスチックのボールや保存容器、買うときはきれいでかつ安いのですが、しばらく使うとなんだかみずぼらしくなります。
ステンレスやガラスのボールは傷がついても味があるのに、プラスチックのものは貧乏くさく汚れていくのはなぜなんだろう?
ちょこちょこ断捨離するたびに、プラスチックのものを捨てて、数を絞ってステンレスやガラス、木のものに買い換えてます。
会社員時代は、何十年もプラスチックで製品を作っていました。
いま家にあるテレビも掃除機もプラスチック製品で、これは次買い換えるときもプラスチックのままでしょう。
プラスチックはすごく便利で融通の利く素材ですが、何年かで捨てて次々新しいものに買い換えていくのが前提の素材。
自分が歳をとってくると、あまり心地よくない。
サスティナブル云々というより、若いときのハリや輝きはなくなっても、味のあるばあさんでいたいという願望の裏返しですね(笑)