定年女子の人生後半戦は楽しい

女子の定年後は思ってたより忙しい

親の入院介護でやってよかったこと(3)

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遠距離介護で親が入院介護となったときに、やってよかったことです。

サラリーマンを定年後、幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
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母親が入退院を繰り返し、毎週のように500キロ離れた実家に通ったとき、やってよかったことのその3です。

 

3. 自分がどうしたいか腹をくくる

 

自分が仕事をやめて、夫を残して実家に戻り、ケアに専念すれば、母は退院して自宅に戻って暮らせる。

仕事をやめるか、どうする、どうすると真剣に悩みました。

 


世間の「パートなんだから辞めて帰ってきてやれば」という無言の圧を、勝手に感じていたわけです。

でも、本来のわたしの判断基準は「自分がどうしたいか」です。

自己中は十分承知ですが、どう考えてもやりがいを感じている仕事を手放して、介護に専念する未来が楽しそうではない。

母の性分からしても、娘にそんなことをしてほしいとは思ってないでしょう。

 

わたしも母も、自分で決めて自分で稼いで自分のやりたいことをやる、でやってきたのに、ここで世間の評価を気にしてどうする。

「仕事はやめない。遠距離で、できる範囲で、できる限りのことをする」と決めました。

 

迷っているときはケアマネさんに相談してもはっきりした答えが得られませんでしたが、遠距離介護と方針を決めたら、使えるサービスなど次々アイディアを出してくれます。

主治医の先生にも「毎週は帰れませんので、電話面談とさせていただけませんか」と臆せず言えるようになりました。

弟や父親にもできることはやってもらおうと、がんがん指示を飛ばしました。

覚悟が決まれば、あとはできる方策を探すだけ。

ずいぶん気が楽になりました。

 

もちろん、親を自宅で最後まで看取るという選択も尊いと思います。

介護される人の意思や自分がどうしたいのかに正直に、覚悟を持って方針を決めればそれでよいのではないでしょうか。

 

 


 

親の入院介護でやってよかったこと(2)

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遠距離介護で親が入院介護となったときに、やってよかったことです。

サラリーマンを定年後、幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
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母親が入退院を繰り返し、毎週のように500キロ離れた実家に通ったとき、やってよかったことのその2です。

 

 

2. 協力者を増やす

 

・弟と共闘体制を作る

兄弟は弟だけで、お互い大学入学で実家を離れてからはたまに電話する程度。

弟の住まいも、うちより近いとはいえ遠距離他県。

弟嫁さんの地元で、お嫁さんは自分のご両親の介護に通ってます。

そんなこともあって、父親は弟はあてにならんと言い、娘=わたしの世話になるつもりです。

なにもかもひとりでおっかぶるのはしんどいし、がんばればがんばるほど「じゃあ姉ちゃんにお任せ」となるのも違う気がします。

 

グループLINEを作り、弟、お嫁さん、わたし、うちの夫を登録しました。

病院の先生との面談内容、ケアマネさんとの相談、役場に何を申請したとかを逐一アップ。

今週はわたしケアマネさんと相談して介護保険の申請したから、来週は弟来て病院行ってやって、とタスクを振ることにしました。

弟嫁さんは介護経験者なのでアドバイザー役として参加してもらい、うちのトーチャンにはずっと留守の奥さんが何をしてるのか知ってもらう目的。

弟もサラリーマン歴が長いので、報連相がちゃんと回ってれば、頼んだことはきちんとやってくれます。

交替で実家をサポートできるようになりました。

 

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・専門家に相談する

病院のソーシャルワーカーさんや担当ケアマネさんなどプロが相談に乗ってくれるというだけで気が休まります。

退院後に自宅に迎えるのか、ほかの病院に転院するのか、施設に入ってもらうのか、先の見えないことが多かったので、ともかく早い段階から相談しました。

 

介護ヘルパーさんが良い人だったのも、心強かったです。

 

役場の福祉の窓口へも何回か行きました。

聞くと、こんなサービスが無料が使えます、と教えてくれます。

聞かないと損します。

 

 

もうちょっと続きます。

 

親の入院介護でやってよかったこと(1)

 

遠距離介護で親が入院介護となったときに、やってよかったことです。

サラリーマンを定年後、幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
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母親が入退院を繰り返し、毎週のように500キロ離れた実家に通ったとき、やってよかったことです。

ただし、母の入院介護は全部で3か月半という短期間です。

それでもあんなに大変だったのに、何年もご家族を介護しておられる方には本当に頭が下がります。

あくまで、自分の心覚えとしてまとめておきます。

 

やってよかったことは、大きく3つです。

  1. 使える制度やサービスは使い倒す
  2. 協力者を増やす
  3. 自分がどうしたいか腹をくくる

 

1. 使える制度やサービスは使い倒す

 

・医療費限度額認定の申請

自分の乳がん手術のときにも感じましたが、日本医療保険は手厚いです。

後期高齢者医療制度で限度額認定を申請すると、年金少なめで住民税非課税のうちの場合、月額24,600円が支払い限度額になりました(入院の食事、差額ベッド、外来は別)。

お金の心配をしないでいいだけで、気が楽に。

 

 

介護保険の再認定

母はもともと要支援2でしたが、介護保険の再認定(取り直し)を申請しました。

もし退院後に特養などの介護施設入所を考えるなら、要介護が最低条件です。

訪問介護なども含めて選択肢が広がるので、とりあえず入院した早い段階で申請。

母の場合は調査時に病状が悪化して、要介護5になりました。

調査から認定がおりるまで1か月はかかります。

 

・介護ヘルパーさんに入ってもらう

短期間の一時退院でしたが、介護ヘルパーさんに朝昼晩と3回入ってもらいました。

ベッドの上で身体を洗うなどはなかなか素人にはできないです。

その上、仕事で来てくださる方は家族のような感情的な言葉を吐かないです。

優しい声掛けを聞いていると、こちらも優しくなれます。

 

・その他

福祉タクシー券、お弁当配食サービスなど使えるものは使って楽をしました。

JRの新幹線割引がきくジパング倶楽部の会員になりました。

 

長くなるので、続きます。

 

 

父90才とはつかず離れず

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ひとり暮らしをする実家の父との距離感を考えます。

サラリーマンを定年して、幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
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母が亡くなり、実家の父90才はひとり暮らしになりました。

実家に帰ってきてお父さんを看てあげないのか、そちらの自宅に引き取ってあげないのか、とご近所や知り合いに言われました。

いまのところ、そのつもりはありません。

 

父は盆栽が最優先で、盆栽の世話ができるあいだは自宅を離れるつもりがありません。

年相応の物忘れはありますが頭はしっかりしていますし、なんとか家事もできています。

それなら自力でがんばってもらいましょう、という気持ちです。

 

なによりも、昔から父は尊敬できる点も多々あるけど、イラっとすることも多いのです。

母は人の世話をするのが大好きでしたが、父は昭和ひと桁のひとりっ子なので人から世話してもらうのが当たり前なタイプ。

その上、よく言えば感性豊かなこだわり派、悪く言えば神経質で他人のアラが目について、減点法で悪口不満を口にします。

わたしは、父のこの誰の得にもならないネガティブな物言いが我慢ならんのです。

 

たまに顔を合わすくらいなら、父が腹の立つことを言っても、「相手は90才、90才、90才」と口の中で唱えてやりすごせます。

今回の母の介護のように長期にいっしょにいるとイライラがたまって、「母がおらんようになったら、二度と来んわ」と大声で大ゲンカ。

 

母はそのへんよくわかっていましたから、生前に言い残しました。

「もし自分が先に死んでお父さんの介護が必要になったら、あんたの家のそばの老人マンションに呼び寄せてやって。お父さんわがままやから、いっしょに住んだら◯◯さん(うちの夫)がかわいそうやから。」

 

なんとか元気なうちはそれぞれ好きに暮らす。

サポートが必要になれば(できる範囲で)できる限りのことはする。

修復不可能なほど大ゲンカする前に、適当な距離を取る。

父親とはつかず離れずが良さそうです。

 

 

幼稚園パート、小さい子クラスのほうが楽しい

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幼稚園パートなら、小さい子クラスのほうが楽しいな、と思ったはなしです。

サラリーマンを定年して、幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
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まだ幼稚園では鯉のぼりを飾っているのに、最高気温32度、33度と夏みたいな日が続きます。

子どもたちは、パンツ一丁、あるいはすっぽんぽんになって水遊び。

流れた水で川ができたところでスライディングしたり、泥のプールになったところにはまり込んだり、君はアフリカの裸族か?というくらい全身泥まみれになってます。

 

去年までは年少の下のクラス、満3才になったばかり子と2才児の小さい子クラスを担当していました。

今年は満3才児と2才児の申し込み人数が少なくて、年少クラスのサポートに入ってます。

初めて組んだ担任の先生はよく気の付くさっぱりした人で、気持ちよく働いてます。

 

それでも、幼稚園パートタイムとして働く立場からすれば、小さい子クラスのほうが楽しかったな、と思います。

 

うちの園では、小さい子クラスは暑くても寒くてもほぼほぼ戸外で過ごします。

お弁当は外にブルーシートを敷いて食べ、お絵描き工作などは戸外のテーブルです。

森の幼稚園と称して、園バスで山や公園へ出かけることも多いです。

初めての集団生活で泣く子も多いし、トイレや着替えも手がかかります。

 

それが、年少児になると教室に入っての活動が増えます。

できることも増えて、トイレや着替えも自分でやります。

そうなると、保育士の資格を取ったとはいえ、特段幼児教育のスキルがあるわけではない身には、ピアノが弾けるわけでなし、折り紙が教えられるわけでなし。

30分単位で切り替わる次の活動の準備に追われてやることはいっぱいあるのですが、子どもと遊ぶ機会が減ったのがさびしい。

外で子どもといっしょに身体を動かすのほうが、単純に好き、性に合ってるということかもしれません。

 

仕事なんだから、大人なんだから、文句言うんじゃないよ、と思ってます。

でも、小さい子クラスの担任の先生に、9月に新入園児が増えたら呼び戻してください、と頼んでみよう、言うだけ言っとこう、と思うこの頃です。

 

 

仕事を再開して、子どもたちからボーナスをもらう

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幼稚園パートを再開して、子どもたちから元気のボーナスをもらいました。

サラリーマンを定年して、幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
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4月に母親を亡くし、そのあれこれでライフを使い果たしました。

母親の入退院、介護保険の再認定、葬儀や四十九日、父親のひとり暮らしのための介護認定、サポート体制作り、相続の準備など、2月、3月、4月は我ながらよくまあと思うくらいがんばりました。

 

その反動で、自宅に戻ってからも、ここしばらく元気が出ない。

どうにもやる気が出ないし、何をしても楽しくない、ぐだぐだ寝てばかりいました。

がんばりすぎて、軽いうつ症状が出てるのかも?

忙しすぎて感じてないと思っていましたが、人生の指針であった母親を亡くした喪失感もないわけがありません。

 

そんなときは家事ぐだぐだでも良し。

とりあえず仕事をしよう。

長年のサラリーマン習性ですから、仕事をしていればしゃきっとするはず。

 

連休明けから、幼稚園のパートを再開しました。

久しぶりに見るオバチャン先生が珍しいのか、ふだんはあまり話しかけてこない年長の子たちまで顔を見に来て、にこにこハグしてくれます。

小さい子たちも、進級したせいか1か月半会わなかっただけなのに成長していてびっくり。

一生懸命、連休中にお出かけした話しとかをしてくれます。

子どもたちから、ボーナスをもらった気分です。

 

少しずつ元気になる予定(笑)

 

 

親の介護で仕事をやめるべきか?

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親の介護でパート仕事を辞めるか、悩んだ話しです。

サラリーマンを定年して、幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
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母親が弱って介護が必要になったとき、仕事を辞めて実家に帰ろうか、と悩みました。

 

父は昭和生まれの90才。

母がそれなりに元気になって退院できるとしても、父ひとりでは自分のことだけで精一杯。

わたしが帰ってやらないと母はずっと病院暮らしになってしまう。

行ったり来たりするには遠い実家です。

 

幼稚園の先生をしていますが、パートタイムで担任を持っているわけではありません。

自分が辞めても誰も困らない。

 

唯一、うちのトーチャン(夫)がひとりになってしまいますが、わたしが会社員時代に7年も奥さんの単身赴任をしても大丈夫だったのでなんとかなるはず。

 

主治医の先生やケアマネさんと話していても「実の娘でしょ、仕事といっても所詮は定年後のパートでしょ、親ほっとくのか」と口には出さねど思ってるに違いないとプレッシャーを感じます。

 

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真剣に悩みました。

でも、辞めて誰も困らなくても、自分が楽しくない。

毎日子どもと会うのは楽しいし、森や野原を駆けまわって健康になるし、自分なりにやりがいを感じてます。

幼稚園の仕事は辞めない。

その上で、母にはできるだけのことをしよう。

そのためにどうすればいいか考えよう。

 

そう決めてケアマネさんに話したら、では介護ヘルパーさんをとか、施設を探しましょうとか、どんどん方法が出てきます。

世間の無言のプレッシャーは自分が勝手に感じていただけでした(と思いたい)。

 

そうこうしているうちに2回の一時帰宅を経て、母は亡くなりました。

母の人生も「自分のやりたいことをやる」でしたから、これでよかったと思うことにします。