定年女子の人生後半戦は楽しい

女子の定年後は思ってたより忙しい

母の大無念

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実家の母が緊急入院時に着ていたズボンの話しです。

サラリーマン定年後に幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
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実家の母が入院しましたが、ちょっとだけ持ち直しました。

 

看護師さんから、入院時に着ていた服を洗濯してねと渡されました。

見ると、ズボンのひざに大きなつぎ当てが。

 

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母、おしゃれな人で、大量に洋服を持ってます。

ズボンもいっぱいあるのに、わざわざつぎ当てを当ててくたびれたズボンをはいてました。

だとしてもお医者さんまでは父の運転で行ったのですから、ふだんの母なら絶対よそ行きにはきかえたはずです。

それもできないほどしんどかったのかとしんみり。

同時に、母はきっと「失敗した!こんなことなら普段着にええズボンはいとけばよかった」と思ってるはずとちょっと笑えてきます。

 

母、大無念。

この無念を晴らすには、元気になって退院して、今度はいちばん良い洋服着て病院に行くしかない。

元気になってよ、お母さん。

 

 

幼稚園:人生初の急斜面のはい登り

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幼稚園ワークで、人生初の山の急斜面はい登りをしました。

サラリーマン定年後に幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
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実家から最終の新幹線で帰ってきた翌日、幼稚園に出勤。

あきらかに寝不足と思っていたら、担任の先生から「今日はみんなで山歩きに行きます」と号令がかかりました。

 

自然派の幼稚園ですから、冬でも夏でも、3才児に山道をどんどん歩かせます。

行列先頭の担任の先生は、枯れ葉でいっぱいの10mくらいある急斜面をはい登っていきます。

こんな道もない崖みたいなとこ登るんかい?

葉っぱの中に虫いたらどうする?

「先生、子どもら登れるでしょうか?」

「だいじょうぶ。毎年登ってるから」

本音は子どもは登れてもわたしは登れないですが、仕事なので急な斜面にへばりつきます。

 

ところが、積もった枯れ葉で滑る、滑る。

登ったと思ったら、ずるずると下がってしまいます。

3才児の中でも体力ある子は、担任について上まで登り切りました。

登り切れない子は、斜面途中でにっちもさっちもいかずに泣き出しています。

登れない子を上へ押し上げてやろうと思うのですが、こちらも足場がないので子どもと一緒にずるずる下がる。

あっちで泣いてる子、こっちで泣いてる子、大騒ぎです。

担任が上からひっぱり、メカジキが下から押し上げ、葉っぱだらけ、泥だらけになって、なんとか斜面を登り切りました。

 

後で、担任の先生が言ってました。

「3才児には、あの斜面はちょっと難しかったですね」

そう言えば、先生、去年まで年長さん5才児クラス担当でした、トホホ。

 

人生初の急斜面はい登り経験ができる幼稚園ワーク、やっぱり、なかなか面白いです。

 

 

父90才、心配するのは?

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母が入院してひとり暮らしになった父が心配するのは?

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心不全で入院した実家の母、思ったより悪いです。

主治医から、緩和ケアへの切り替えも選択肢に入れる、と話しがありました。

 

父、頭が真っ白になったと言ってました。

自分より5つも下の連れ合いが先にいく?とは思ってなかったはずです。

 

それでも、父はひとり暮らしをがんばってます。

90才にしての、そのがんばりには頭が下がります。

 

今日は、卵かけご飯で朝ごはんを食べた。

昼ごはんは、牛肉を解凍しステーキにしたいが、どのくらい焼けばいい?

果物がないので、ひとりで買いものに行って、リンゴとバナナを買ってくる。

 

えらいわ、えらいわ、と聞いてましたが、父が話しをするのは自分の食事の心配ばかりではありませんか。

ちょっとはお母さんの心配もしたってよ。

よくネットに載ってる悪口、妻が熱を出して寝ていても、気の利かない夫が「外で食べてくるから俺の晩ごはんは心配いらないよ」と言うやつ(笑)

 

もちろん母親のことは心配しているでしょうが、コロナで面会もできないのでやりようがないのだとわかってます。

90才でひとり暮らしするだけエライ、のもわかってます。

 

それでも、90になっても男ってやつは、、、とこっそり舌打ちしてしまいました。

 

 

幼稚園パートという働き方

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パートタイムでも、昭和のサラリーマン習性が抜けないメカジキです。

サラリーマン定年後に幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます
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現役時代は、典型的な昭和のモーレツサラリーマンでした。

調子悪かろうが、休まない、遅れない、残業いとわない、休日出勤当たり前。

子どもができてからは、自分の風邪ごときで有休使ってる場合じゃない。

 

定年後に幼稚園でパートタイムを始めるときは、あらかじめ断りを入れました。

両親が高齢で離れて住んでいるので、何かのときにはお休みさせてもらいます。

いいですよ、来られるときだけ来てくれれば、というお話しでした。

 

でも実際に働き出すと、自分の病気であれ、両親の介護であれ、休むのは申し訳なくて仕方ない。

遠くの実家に帰るなら1週間とか10日まとめて休みを取ったほうが自分的には楽ちんですが、言い出せません。

同僚の先生に迷惑をかけるというのはもちろんですが、それ以上に昭和のサラリーマンの染みついた習性が抜けません。

自分の都合で休まない。

遅くとも10分前には出社できるよう、車通勤のアクシデントを見越して駐車場には30分前に着いていたい。

就業時間が過ぎても、やりかけの仕事があればキリの良いところまでは片付けて帰りたい。

仕事にはストイックでありたい。

 

そう言ったら、フルタイムパートで働く女友だちが鼻で笑います。

安いお給料でパートで働いているのは、何かあったらプライベート優先させるためでしょ?

幼稚園がコロナで休園したとき、パートには何の補償もなかったでしょ?

園児数が伸びないとき、前ぶれなく1ヶ月の自宅待機で無給だったでしょ?

渋滞で5分遅れたら、5分分時給から引かれたでしょ?

雇う側だって便利に使ってるんだから、お互いさんよ、正社員じゃないんだから割り切っていい。

 

そういうもんか?

そういうもんなんだろう、とちょっと肩の力を抜きます(笑)

 

 

抵抗力下がって、自分がヘルパンギーナにかかる

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実家の母の心配をしていたら、自分がヘルパンギーナという子どもの風邪をもらってしまいました。

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入院した実家の母、肺炎と心不全の急性増悪だけでなく、背骨の圧迫骨折を起こしていました。

痛い、痛いと言っていたのは、心不全ではなく圧迫骨折のせいだったようです。

85才にして、もう身体の耐用年数が切れかけています。

退院しても今までのように父とふたりで生活できるか、微妙です。

 

楽しく働いている幼稚園をやめて実家に帰って介護するか、遠距離介護で行ったり来たりするか、、、

どうしたもんだろう、はあ、、、

 

ため息をついて頭を抱えていたら、自分自身の体調が悪化。

微熱、喉の痛み、咳からのすごいガラガラ声になって声が出ません。

定年後はよく寝て、よく食べて、身体を動かして適度に働き、ほとんど風邪ひくこともなかったのに、風邪か、それともコロナ?

 

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お医者さんに行ったら、コロナではなく、ヘルパンギーナという喉に水泡ができる風邪でした。

子どもの風邪ウィルスを幼稚園でもらったようです。

ヘルパンギーナは9割が子どもの病気で、大人がかかるのは抵抗力が落ちているとき。

ため息をついていたら幸せが逃げて、メンタルのストレスから抵抗力が下がったんですね。

 

実家の父にうつしてもいけなので帰省を1週延ばし、幼稚園もちょっとお休みして、静養中です。

危機には気が走りすぎて、あれしてこれしてと暴走する気持ちをリセットできました。

90才にしてひとり暮らしを楽しむ父を見習い、前向きに明るくいこうと思います。

 

 

実家の父90才の生活能力

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母が入院して、ひとり暮らしになった父90才の意外な生活能力です。

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実家の母が入院しました。

入院している母のことは心配ですが、とにもかくにも病院でお世話されています。

 

90才の父、ひとりで暮らせるのか?

ふだんから、なにもかも母任せ。

食卓で「ソース」と言えば、母が冷蔵庫から出してきて「こんくらい?」と言いながらかけてくれる生活です。

「お父さん、だいじょうぶ?ごはん食べられる?」

「来んでもええぞ。お母さんが冷蔵庫にいっぱい詰め込んでるから」

父がだいじょうぶと言うので、母の検査結果が出て主治医との面談日が決まってから実家に行くことにしました。

 

弟のお嫁さんが心配してくれます。

「お父さん90才で、今からひとり暮らしなんかできませんよ。手伝いに行きますよ?」

弟夫婦も他県に住んでいて、うちよりは近いですが実家から150キロ。

弟お嫁さんは自分の両親の介護に通っています。

「1~2週間はなんとかがんばると思うから、しばらくして困ったころに行ってやって」

「そんな、かわいそうな」

実家の家族関係は昔からわりとドライで、自分ことは自分で、という感じ。

わかいそうと言われたけど、どんなもんやろ?

 

父の様子を電話で聞くと、意外にがんばっています。

買い置きの食品でごはん食べた。

洗濯機まわした。

ルンバ動かした。

燃えるゴミの日には、冷蔵庫の中の賞味期限の過ぎているものを捨てた。

初めてひとりでスーパーで買い物をした。

初めてひとりで100均に行って、バターをスティック状に塗る便利な道具を買った。

 

あんなに何にもしないと思っていた父90才、けっこうマメな人でした(笑)

 

 

実家の母、また入院する

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85才の実家の母がまた入院し、いよいよ遠距離介護かもです。

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実家の母、また入院しました。

もともと心臓が悪かったのですが、風邪から肺炎となり、心不全の急性増悪(悪化)を起こしたそうです。

父によると、母が「風邪が治らない、肩や腰が痛い、ギックリ腰かも」と言うのでかかりつけ医に行ったら、「心不全やがな」となってそのまま救急車で大きい病院へ入院したそうです。

 

実家は、母85才、父90才の超高齢者ふたり暮らし。

うちからは直線距離で450キロも離れていて、かんたんに駆け付けられる距離ではありません。

90才の父は、ひとりで入院の手続きや必要なものの準備をし、どれだけたいへんだったかを電話で延々話します。

「お母さん、入院グッズをキャリーバッグに入れて準備してたよね?」

「それが見つからんのや。本人は2階の納戸に入れたと言うのにないし、あっちこっち探したら1階の仏間の押し入れの奥から出てきた。ぜったい忘れとる」

高齢者あるある、、、

 

高齢者の心不全は急性増悪による入退院を繰り返して、だんだんに悪くなっていきます。

だいぶ弱ってきていた母、今回退院できても、いままでのように日常生活が送れるかわかりません。

そのうえ15分前に言ったことを覚えていない認知症症状が出ていたのが、さらに進むかもしれません。

90才の父はひとりで生活できるかも不安で、老々介護は無理でしょう。

 

同世代の女友だちは、みんな親が高齢となって、会うと介護の話題になります。

毎日のようにゴミ出しや買い物に実家に行く、東京から名古屋の実家の毎週通ってる、などなど。

うちの両親、ふたりでよくがんばったほうです。

定年して気楽に幼稚園で働いたり、水泳三昧の生活を楽しんでましたが、いよいよ遠距離介護スタートかもしれません。