母の病状が一進一退で、「寿命」のことを考えました。
サラリーマン定年後に幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→★)
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入院中の実家の母、ちょっと元気になって喜んでいたら、また状態が悪くなってしまいました。
父がちらっと「覚悟しとかなあかんかもなあ」と言いました。
そんなことを考えていたら、友人の言葉を思い出しました。
友人というのは80代のオジサンで、古いオーディオなどの有名なコレクターです。
初期の蓄音機やエジソン式の円筒形レコードも持っていて、展覧会に貸し出したりします。
オジサンは、その貴重な蓄音機やレコードを実際にかけて音を出し、どんどん参観者へ触らせます。
蝋でできたレコードはかければかけるほどすり減りますし、落としでもしたらそれまでです。
心配したら、オジサンはこともなげに言ってました。
「壊れたら、それがこいつの寿命ということです」
しびれました。
しまっておくより、本来の使い方をして寿命を全うさせてやったほうがモノも喜ぶ。
モノには寿命がある、ということです。
人にも寿命、天寿というものがあります。
母は、終末期の延命措置はしてくれるな、と普段から言っていました。
家族にも覚悟が必要です。