定年女子の人生後半戦は楽しい

女子の定年後は思ってたより忙しい

母の時代が終わる

f:id:mekajiki_life:20230419045138j:image

 

母が亡くなり、しばらく燃え尽きてました。

サラリーマンを定年して、幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
=====

 

4月4日に母が亡くなりました。

85才でした。

母が亡くなった悲しさより、それまでの一時帰宅の受け入れの大変さや、葬儀のあれこれ、遠距離の実家までを何回も往復する疲れでライフが削られ、燃え尽きました。

 

自宅に戻って、ぼーっとして、ようやく少し回復。

ちょっとだけ母の思い出を書きます。

 

昭和12年生まれの母は、二十歳で結婚して、ふたりの子を産みました。

二十代後半からひとりで喫茶店の商売を始め、それがはまって何店舗も店を持ちました。

この年代の女性にはめずらしく、ほぼ家庭を顧みず、30年以上店に近いところに単身赴任していました。

祖父母に大事にされたわたしは別にさみしいとも思わず、豪快に商売し豪快にお金を使う母をよそのお母さんよりかっこいいと思っていました。

 

小学生のとき、母に「もし今の商売やってなかったら、何になりたかった?」と尋ねたことがあります。

母は「総会屋か、手形のパクリ屋」と即答し、大人ってすごいわと思いました。

 

人たらしの名人だった母親は、お客さんに愛されました。

テレビに映った3代目桂春団治師匠を「春さん」と呼ぶので「友だちかあ?」と突っ込んだら、「ごひいき筋といっしょに何回かごはん食べた」と言ってました。

共産党の志位委員長のことを「志位くん」と呼ぶので「友だちかあ?」と突っ込んだら、「若いころ沓脱さんに連れられて、よく店に来てた」と言ってました。

大企業の社長さんから、芸人さん、左翼の大物まで交友関係が広く、いちど会った人の名前はけっして忘れないという特技の持ち主でした。

 

f:id:mekajiki_life:20230419045148j:image

 

ここ数年だいぶ物忘れがきてるなという印象でしたが、ひ孫が生まれたのをすごく喜び会うのを楽しみにしていました。

お正月には皆にすき焼きをふるまい、「ええ肉やねんで。いっぱい食べや」と元気でした。

3月からがたがたっと弱り、もとから人に世話をかけるのを嫌う母は「こらあかんわ」とさっさと旅立ったのでしょう。

 

お母ちゃん、これまでありがとうやで。

 

 

駆け込み乗車でコケて、年齢を感じる

f:id:mekajiki_life:20230311062615j:image

 

おばあさんコケた、と思われる年齢です。

サラリーマンを定年して、幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
=====

 

入院中の実家の母が一時帰宅することになり、実家に帰ることにしました。

実家まで新幹線を使っても5時間半。

幼稚園の仕事が終わってから、急いで駅に向かい、割引き切符を買って、この新幹線に乗れれば、在来線にうまく乗り継げ、父が起きてる時間に帰宅できる。

よし、余裕。

 

そう思って駅に行ったのに、みどりの窓口に長蛇の列。

切符を買うまでに30分も並び、予定してた新幹線にあと2分。

思わず走りました。

 

ベルが鳴る新幹線に駆け込もうと階段をかけあがり、よし間に合うと思ったところで、ズダンッとコケました。

 

ウワッ、新幹線行ってしまう!

ところが、発車するはずの新幹線がなぜかドアが閉まらず止まってます。

必死に立ち上がり、乗車しました。

 

痛いのと恥ずかしいのとでうつむきながらも、なんとか間に合って乗れたから良かったやん、と思おうとします。

でも冷静になると気がつきました。

「おばあさんがコケた」

駅員さんにはそう映ったのだろう。

老婦人を見捨てるのがかわいそうで、発車を待ってくれたのです。

 

あかん。

もうそういう年齢です。

慌てて階段を駆け上がったり、駆け込み乗車すれば怪我して、周りに迷惑をかけます。

 

気持ちにゆとりを持ってやっていこう(笑)

 

 

いなかの楽しみ、北海道展

f:id:mekajiki_life:20230222054604j:image

 

ストレスが多いと言ったら、トーチャンが北海道展に連れて行ってくれました。

サラリーマンを定年して、幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
=====

 

入院中の実家の母を看るために、仕事をやめて単身介護赴任せねばならんか、と悩み中。

ストレスたまる、なんか楽しいお出かけがしたい。

 

地元民のトーチャン、お休みにどこか連れて行ってくれるときの選択肢は、蕎麦屋か道の駅オンリーです。

いなかの楽しみといえばそんなものくらいで、緑の中をドライブしていくのはそれはそれで気持ちよいのですが、かわり映えしません。

「お出かけしたい。ただし、蕎麦屋と道の駅以外で」

「よし!デパートの北海道展へ行こう」

 

いなかの楽しみ、たまに開催される地元デパートの北海道展(笑)

おばあちゃん(義母)が生きていたときも楽しみにしてました。

そう思う地元民が多いようで、今回は3週間も連続開催されています。

 

トーチャンとふたりでデパートへ。

チーズケーキやアイス、トーチャンの好きなスモークのタコやおつまみ、お昼のお弁当も買ってきました。

f:id:mekajiki_life:20230222054814j:image

 

なんだかんだで、7,000円(笑)

旅行気分を味わって、美味しいもの食べて、ぱっぱっと散財して(とはいえしれてますが)、ストレス解消。

いなかの楽しみ、北海道展でした。

 

 

母の一時退院の準備進む

f:id:mekajiki_life:20230306060355j:image

 

迷っていた実家の母の一時退院ですが、3泊4日で退院することになりました。

サラリーマンを定年して、幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
=====

 

遠距離の実家の母85才、心不全が悪化して1月末から入院中です。

 

主治医の先生は退院推しで、「もう普通に退院できるくらい回復しているし、なにより本人が帰りたがっている」と言われます。

父と弟が病院に行き面会させてもらったら、たしかに元気だったそうです。

それならと父がOKを出し、話しが進みだしました。

 

母が元気なのは喜ばしいが、普通に退院??

いきなり話しが違うやん、父ひとりで面倒みられへんやん。

なに事前の家族打ち合わせと違う話しを進めてるの?

 

ケアマネさんに相談したら、「どの程度自力で動けるかわからないので、短期間のお試し退院にしてもらいましょう」とのアドバイス

それなら、なんとかなりそうです。

金曜退院~月曜入院という3泊4日の一時退院になりました。

 

たった3泊ですが、介護ベッド、ポータブルトイレ、車いすをレンタルで入れました。

今までのように動けるわけではない、というのが目の前に突き付けられて、父はかなり意気消沈したようです。

わたしはまだ見ていませんが、この先、母が自宅で暮らすためには、わたしが仕事を辞めて実家に帰るしかないという包囲網ができあがっていくようで、もんもん。

 

f:id:mekajiki_life:20230306060355j:image

ま、思い悩んでもしかたない、とりあえず元気チャージだ。

近所のケーキ屋さんでケーキやシュークリームを買ってきて、爆喰いしました(笑)

母とゆっくり会えるのを楽しみにします。

 

 

父90才、ひとり暮らしの朝食はスムージー

f:id:mekajiki_life:20230301062853j:image

 

実家の父がひとり暮らしの朝食にスムージーを作ってました。

サラリーマン定年後に幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
=====

 

実家の母が入院して、父90才がひとり暮らし。

とんかつのソースまで母にかけてもらっていた父が、ちゃんとご飯を食べているか心配です。

 

ところが、なんと、朝ごはんにスムージーを作っている、と言います。

f:id:mekajiki_life:20230301062853j:image

「ミキサーに、リンゴとバナナとキャベツ、牛乳を入れて、ブンブン回すだけや」

買ってきたカット野菜のサラダに、生ハムか合鴨のサラダチキンを添えるそうです。

「ふつうのハムより、合鴨のやつのほうがうまいで」

 

なんか、コジャレたもん食べてるやないか(笑)

食べることに意欲的というか、美味しいものへのこだわりがすごい。

ちょっとはお母さんの心配もしたってや、と思います。

でも、母がいなくて元気がないより、なんぼか良い。

ひとりで好きなもの食べている90才の父に拍手です。

 

 

母、一時退院をすすめられる

 

f:id:mekajiki_life:20230222055125j:image

 

入院中の母を、一時退院という形で自宅へ連れて帰るか悩み中です。

サラリーマンを定年して、幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
=====

 

入院中の実家の母、あまり具合がよくありません。

主治医の先生からお話しがありました。

「お母さん、家に帰りたいと言っておられました。調子のよいときを狙って、二泊三日で自宅に帰りますか。たぶんラストチャンスです」

「外泊ですか?」

「いえ、一時退院です。再入院を予約しておきます」

 

母、マスク式の人工呼吸器を常時つけていて、意識があったりなかったり、という寝たきり状態。

自宅に連れて帰って、家族で看られるのでしょうか?

とはいえ、病院では面会もままならないので、すこしでも顔を見て話しをしたいという気持ちもあります。

 

90才の父は「急に具合が悪くなったらどうする?」と大反対。

自分のひとり暮らしだけで手いっぱいなのでしょう。

わたしが仕事を休んでつきっきりになれば、1週間くらいならなんとかなりそうですが、覚悟が決まりません。

 

ネットで「一時退院」を調べていたら、忙しい主治医が言葉を選んで長々と説明された理由が腑に落ちました。

入院している病院は、急性期病院で長期に入院できる病院ではありません。

14日・30日をさかいに診療報酬ががんと下がるし、平均入院日数の基準を上回ると病院全体の診療報酬が下がる仕組みだそうです。

母、入院してちょうど1か月。

2日でも退院して再入院すれば、引き続き面倒見てあげられる、と主治医が言ってくれているようです。

 

ここで無理と断れば、たぶん緩和ケアの病院か施設へ転院をすることになるのでしょう。

どっちが母や父のためになるのか?

自分に母のおむつを替える覚悟はあるのか?

悩ましい日々です。

 

 

モノには寿命がある、人にも寿命がある

f:id:mekajiki_life:20230217043716j:image

 

母の病状が一進一退で、「寿命」のことを考えました。

サラリーマン定年後に幼稚園の先生になったアラカン女子メカジキが、日々の暮らしをあれこれ書いてます(自己紹介→
=====

 

入院中の実家の母、ちょっと元気になって喜んでいたら、また状態が悪くなってしまいました。

父がちらっと「覚悟しとかなあかんかもなあ」と言いました。

 

そんなことを考えていたら、友人の言葉を思い出しました。

友人というのは80代のオジサンで、古いオーディオなどの有名なコレクターです。

 

f:id:mekajiki_life:20230217043722j:image

 

初期の蓄音機やエジソン式の円筒形レコードも持っていて、展覧会に貸し出したりします。

オジサンは、その貴重な蓄音機やレコードを実際にかけて音を出し、どんどん参観者へ触らせます。

蝋でできたレコードはかければかけるほどすり減りますし、落としでもしたらそれまでです。

心配したら、オジサンはこともなげに言ってました。

 

「壊れたら、それがこいつの寿命ということです」

 

しびれました。

しまっておくより、本来の使い方をして寿命を全うさせてやったほうがモノも喜ぶ。

モノには寿命がある、ということです。

 

人にも寿命、天寿というものがあります。

母は、終末期の延命措置はしてくれるな、と普段から言っていました。

家族にも覚悟が必要です。